無料ブログはココログ

« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »

2013年8月

2013年8月27日 (火)

元気ですか?!

皆さん、元気ですか?!

猪木さんは好きだけど、猪木さんのマネをしてるわけでもないですupwardleftsmile

最近の私たちは、ものすごく忙しいです!

お父さんのことがありましたが、その時も忙しいと思ったけど、今はその比ではありません。

お父さんが亡くなってからの手続き諸々も、進んでおりません・・・。

でも、今取り組んでいるコレは、たぶん今がピーク(そうであって欲しい!)。

この大きな山を越えれば、あとは小さい山をたまに越えればいいはず!

そう信じて、全力投球です。

正直、疲れた〜〜〜wobblyと思うこともありますが(朝8時すぎから夜暗くなるまで、ずーっと資料に向かったり、メール連絡を沢山したり、外出して用事を済ませたりで、お昼を食べるのもままならないくらいなのです)、でも、この先にあるものは、これを乗り越えても、欲しいものなのです。頑張ります。

何か、素敵な品物が手に入るわけじゃないので、もしも楽しい空想をされていらっしゃる方がいらしたら、ごめんなさいhappy02
でも、とっても大事なものです。

段々、この話をお伝えできるようになると思います。

私がめちゃくちゃ拘束時間の長い仕事をしていた頃、亡き父が、やらされてると思うから疲れるんだ!と言ってたな〜。
でも、朝6時半から22時までとか、やっぱり疲れますよね!catface
だけど、確かにそう、自分のやりたいことをやっている、もしくは、やりたいことに向かってるって思ってできれば、心は疲れない!
睡眠はできるだけ取って、なるべく栄養バランスに気をつけた食事をして、頑張ります。

お父さんのこともあったので、とりあえず、元気です!忙しいです!のご挨拶でしたhappy01

皆さんもお元気で、楽しいことがいっぱい起きていますようにsign01


2013年8月19日 (月)

生理痛と貧血

前回の記事には、みなさんから思いやりいっぱいのコメントを頂いて、ありがとうございました。
母や夫のことまで気遣って頂いて、嬉しいです。夫も感激していました。
みなさんそれぞれに、ご自分のご家族のことや、ご自身の健康、仕事のことなどでお忙しいのにconfident本当にありがとうございました。


今日の話題、男性の方には、反応に困る話かもしれませんが・・・生理痛のひどい女性にとって、これは結構真剣な悩みなんです。

お父さんの火葬までが済んだら、多少疲れがあったのか、数日具合が悪く、回復して来た気がしたら、生理・・・coldsweats02

個人差があって、な〜んともない人もいらっしゃるようですが、私はラクではない方です。
が、今回は体調のせいもあったのか、久しぶりにすごく辛かったですshock

夫はちょうど仕事の集まりで不在。その夫が帰って来る頃、具合の悪さはピークに・・・。
腸が動き出すのと連動して、脳貧血が起きるので、トイレに座っているのもやっとの思い。
トイレに行きたくなるのと、貧血が来ると分かるのと同時ですが、行かないわけにいかないし、済めば治ると分かっているので、トイレにこもります(普段から全く便秘ではないです)。
脳貧血が進むと辛くて、トイレに腰掛けたまま、体は床に向かって半分折れた状態。(笑)
紙を取る手の指が震えます。

トイレからようやく出ると、そのままトイレの横の廊下(我が家では、つまり玄関先)に、横になりました。
貧血で手足や顔は冷たいのですが、脂汗の出るような感じがあります。
吐き気はするけど、実際に吐きはしませんでした。
すごく気持ち悪いのですが、体を動かすことも出来ない、という状態です。

私がトイレに入っている頃帰宅した夫。
トイレから出て玄関先に転がったのを見て、ビックリしていました。(笑)
自分の着替えもそこそこに駆けつけ、パンツ一丁で、介抱してくれます。
私が汗をかいてるので、冷まそうとしてくれたのか、扇風機を近くに持って来て、まわしてくれました。
最初はいいんですが、すぐに寒くなって、「・・・寒い・・・」と言うと、扇風機はすぐやめ、タオルケットをかけてくれました。

気持ち悪い時にお腹をさすられると、なお気持ち悪い瞬間があるので、その場合、「ウ〜・・・」と嫌がると、察してくれます(とても説明する力はなく、うなるのがやっとです)。

温かい手で腰をさすってもらったり、脈を取るためにやはり温かい手で腕を握ってもらっているうちに、段々気分が良くなりました。
後で聞くと、すごく青い顔で床に転がっているので、死ぬかもしれないと思い、脈を取っていたようです。(笑)

腹痛と気持ち悪さがおさまると、貧血がひどいのでものすごく眠くて、途中、ガクッと手が動いちゃった時があり、その時慌てて脈を取り直してました!
まだ死んでませんよ。(笑)

こう書くと、自分でも笑えますが、この時は、ほんっとに辛く、こんなに苦しいまま死ぬのは嫌と思うくらいです。

女性に毎月ある生理・・・と言えども、あなどれません。


この夏は、暑かったですね。
ピークは越えたと思いますが、まだまだ気温も湿度も高いです。
そんな時、手軽に買えるアイスはいいですね!
それも、かき氷タイプのもの。
体内の熱が取れて、ラクになる感じがします。

Photo

美味しいと聞いて、以前コンビニで買った「しろくま」には、ベリーソースが入ってたと思いますが、近所で買ったのには、小豆とグミとみかんが入っていました。

2


けいさんちの方では、アイスと言えば「しろくま」なのかな?

などと思いながら、頂きましたhappy01

まだ、熱中症、日射病に気をつけましょうね!

2013年8月16日 (金)

お父さん、お疲れさまでした

主治医から、「時間の問題」と言われて16日目、お父さんの心臓は動くのを止めました。

その間、毎日ゆっくりと、一段ずつ階段を下りて行くような衰弱の仕方でした。
主治医からも「低空飛行ですね」と言われたような、低いながらも安定した状態でした。

お父さんが「もう限界」宣言を受けてから、母が我が家に来てくれて、一緒に面会に通いました。

話ができた頃は、治療しても一向に良くならないとか、看護師さんの態度が悪いと文句を言ったり、酸素を取り入れているせいで体内に二酸化炭素がたまった影響かと思われますが、非現実的な話をしたりもしました(夜中に地下に連れて行かれている、盗聴されているなど)。

酸素と点滴がないと生きていることができない体になってから、今まで積極的でなかった「食べること」を頑張ろうとしたり(でももう何も食べられないのです)、「今すぐ帰りたい」「もうこんなこと意味がない」と言うこともありました。
その都度、お父さんとじっくり対話して・・・私も色々思いますが、今はこれが最善と思ってやって来ました。

そのうち、お父さんは言葉を発しなくなりました。
でも、問いかけにうなずいたり、首を振ったりして、答えることができました。

それから、話しかけても、反応がほとんど感じられない時間が増えました。
でも、反応が見えないことが、聞こえていないことと同じとは限りません。
なるべく話しかけたり、リハビリの先生のアドバイスを受けて、温かいタオルで手足をふいたり。
母の提案で、大きめの洗面器を用意し、母がお父さんの足をぬるま湯で洗って、数日のあかを落としたこともありました。

こういった間、血圧や体内の酸素濃度は、瞬間の高低はあるものの、だいたいいつも安定していました。


とてつもない暑さがつづいたある日、母は面会をお休みして留守番。
翌日には、「今日は行く」と言うので、暑さがやわらいだ夕方に到着するよう、一緒に病院に向かいました。
眠る時も、半目みたいに目を開いているお父さんが、この日は初めて、目をつぶっていました。
「お父さん、今日は目をつぶってるんだね。昨日はすごく暑くて、母はお休みしたでしょ。
今日はまた元気になって、一緒に来たんだよ。」などと、いつものように話しかけ、モニターに表示された各種数値を確認します。
それからまずは、仕事先の夫が安心するよう、その日のお父さんの様子を知らせます。
そして、その日の担当の看護師さんに、お父さんの様子を伺うことにしています。
この日も、数値はいつものような感じだと夫に知らせようと思った矢先、体内の酸素の数字がトントンとひとつずつ下がり始めました。
そういうこともあるのでしょうが、今までに見たことがないくらい下がって、警報が鳴り出したので、ナースステーションに報告。
看護師さんが、「吸引しますね」と、鼻から管を入れて、痰を取ろうとしました。
もう咳をする力がないので、痰の吸引も難しく、吸引後も、数字は戻らないばかりか、血圧も呼吸も、全ての数字が下がり始めました。
その頃には、夫に何度も電話をかけましたが、つながりません。
やっと・・・と言っても、数分間のことに過ぎないのですが、夫から電話があり、至急病院に向かうことを確認できました。
母と2人で、「お父さん、深呼吸して!」、「もうすぐ夫が来るからね!」と呼びかけます。
「頑張らせてごめんね。」と謝りながらも、上手く大きな呼吸がつけると、「ありがとう、お父さん!また深呼吸して!」と、お願いしてしまいます。
別に、なんとしても死に目に会わなきゃいけないわけではないけれど、もしも間に合うのなら・・・・・・でも、間に合わなくても、私と母が居るから、しっかり看取ろう、そう思いました。
夫が病室に到着したのは、お父さんが息を引き取ってから15分ほど後でした。
お父さんの最後は、とても静かで、心拍数を示す数字が0になり、ピーという音が鳴ったことでしか亡くなったのが分かりませんでした。
それほど息も弱くなっていたのだと思いますが、人が息を引き取る際というのはあっけないくらいで、もう戻ってはくれません。
あとは、夫が到着するまで、「お父さん、お疲れさま」と言いながら、まだ死んだとは思えない腕をさすっているだけでした。

看護師さんによると、肺炎は治っていたそうです。
肺気腫の悪化が進行したことによる死亡です。

常に酸素の機械を使って、それでも息苦しくて、「タバコを吸っていた頃は、こんなことになるなんて思わなかったよ」と言うこともありました。

肺機能の低下のため、酸素を取り入れても二酸化炭素の排出が困難で、被害妄想のような話が多くなり、先生や看護師さんを疑うようになりました。
リハビリも辛くて「もうこんな苦労はしたくない」と言ったり、病院から「今すぐ連れて帰ってくれ」と頼まれたこともありました。
でも、自分が居るのが病院だという認識がない日もあるのです。

具合が悪くなると、病院に行きたかったり点滴を受けたかったりするお父さんだったから、体がきついと、やっぱり病院に頼る気持ちはあるのです。
でも、自宅に帰って、元のように生活したい、それも本音でしょう。
もう治らないと分かっていながら、治したい、治るかもという気持ちもあったから、病院に行こうとするのでしょう。
私たちも、同じように、治らないと分かったつもりでも、治るかもと思う気持ちもあったと思います。

それでも、本当に終わりに近い数日は、もう良くならないと、見ていて痛感しました。
だから、結果的に亡くなる前日になりましたが、お父さんの夏物のシャツやパンツ、いい笑顔の写真を、お父さんの自宅から取って来たところでした。
葬儀社にも夫が相談済みでしたので、お父さんと以前に話していたように、葬儀はせず、身内だけで火葬する手続きをしました。

お父さんは、ちょうど夫の職場が明日からお盆休み、という日に亡くなりました。
翌日は2人で出席する必要がある重要な仕事が入っていましたが、火葬場も空いていなかったため、火葬は2日後になりました。
仕事に行く前に、区役所での手続きと遺影の注文を済ませ、仕事から戻ったら、我が妹から預かった気持ちとしてお花を花屋さんで沢山買いました。
事情を話してお花を選んでもらい、バケツも貸して下さいました。
白い菊はもちろん、えんじ色の蘭や黄色のひまわり、様々な色のカーネーション、白百合などなど、色とりどりのお花を、ひつぎに飾りました。

お父さんは、もうすぐ81歳のお誕生日を迎えるはずでした。

なんだかバラバラとした内容になりましたが、お父さんが肺炎になってからの出来事は、これで幕を閉じました。

まさか、退院せずに、こんなに早くにお父さんが生涯を終えるとは思いませんでした。
寂しいけれど、憎たらしいこともありながら楽しい思い出話はつきないけれど、お父さんがもう苦しくないということは、私たちの心の救いです。

おもいがけず、皆さんに、一緒に経緯を見て頂くことになりましたが、ご心配、励まし、アドバイス、いつも沢山、ありがとうございました。

また、いつものブログに戻ります。
これからも、よろしくお願いします!


« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »