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2011年3月

2011年3月19日 (土)

3連休

そろそろ週末、月曜が「春分の日」なので、3連休です。

余震や原発の不安定な状態から身を守るためと、スーパーでの買いだめなどの混乱を避けて、自宅にある食料品で生活をつづけて来ましたので、久しぶりに買い物に出ます。

余震は計測的にも、回数が減って来たそうです。
原発は、自衛隊や機動隊の方々の昼夜を問わない作業により、おとなしくなっています。
スーパーにも、品物が復活し始めたという話を聞くようになりました(一時は、パンなどの棚が空っぽだったとか)。

スーパーが開店して間もない店内は、それほど混雑しておらず、野菜などは豊富にあって驚きました。
納豆の棚だけは空っぽです。茨城などの方面で、主に作られているから生産がされないのか、救援物資すら届かない交通事情だったために、あちらからの物も届かないのか。

ティッシュペーパーとトイレットペーパーには店員さんがどんどん品物を補充しており、それがどんどん売れているようでした。
その後、その他の薬局などを見る度、ティッシュとトイレットペーパーは品切れ状態ばかりだったので、スーパーのもすぐに売り切れるのではと推測できます。

買い物自体は困ることなく、野菜、ひもの、肉類など、必要な物を買い揃えることができました。

酒屋さんにも行きました。いつもお米がある棚は、その部分だけが空っぽです。

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私たちは日頃、トイレットペーパーは多めに買っておいているので、被災地で避難所生活をされている方々に十分な生活用品が行き渡ることを願って、少しですが提供することにしました。
市で、現地に送る救援物資を受付てくれているので、会場に運びます。
自分が、そんな時に生理だと不安になると思うので、生理用品も。

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大勢の方々が入れ替わり訪れて、オムツや飲料水などなどを、ボランティアの皆さんに託して行きます。
少しずつでもみんなで集めれば、大勢の人の役に立つことができるし、自分で持って行かなくても届けて下さるんだから有り難いことです。

ここ数日は、真冬並みの寒さが戻ったと言われていましたが、今日は暖かくなり、道中には花も咲いていました。

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ガソリンスタンドには、相変わらず長蛇の列。
もう売り切れたのか、閉まっているお店も。

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震災後には空っぽだった駐車場に、被災地から避難して来た方々の車がいっぱい増えました。

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少しずつでも一日、一日、前進して行っていると思います。

2011年3月18日 (金)

少しずつ

事態は好転しつつあるのかも、と、震災後初めて感じることができました。

まず、自衛隊や機動隊の皆さんの活動により、高かった原発敷地内の放射線の値が下がりつつあり、冷却作業に必要なための外部電力確保の作業に影響がありそうなこと。

そして、道路や鉄道の整備が進んだことで、圧倒的に不足していたガソリンなどの燃料が、貨物車で今日も、明日も、届けられそうなこと。

震災後初めての、被災者のための仮設住宅の設置が決まったこと。

経済的には、G7の協調介入が決定したこと。

そして、うちの近所の大型施設が、毛布や暖房器具のある避難所として開かれたことで、被災地から車などで到着した方々の姿が見えること。

車でいらした方々は、布団など役立ちそうな持ち物を手にされていたり、元気に走り回る子供たちを連れていらしたり。

雪が降り、倒壊した家屋が周囲にある状態から、少しでも暖かで、トイレにも不自由ない状態になることは、特に子供たちには気分的にも大変化なのではないかと思います。

今のところ、避難所としての施設の開放は、今月いっぱいのようですが、少しでも心身の状態を回復されて、次のステップに迎えるように過ごして頂ければいいな、と思います。

今も、原発では放水作業が行われています。

今日の夕方には、また我が家も東京電力の「計画停電」のため、電気が止まる予定です。

まだ本当に解決がされたわけではなく、危険度の高い状態が過ぎても、復興はこれからです。

それでも、大勢の人たちの努力のひとつひとつが、この好転の兆しを作り出したんだと感じられた今日は、それだけでとても元気が出るような気がしました。

2011年3月16日 (水)

状況は・・・

なかなか安定しないまま。

夕べは静岡東部で震度6の地震があり、今朝も茨城や千葉を中心に地震がありました。

被害が大きかった地域の避難所では、物資が行き渡っている場所と、何も届かないままこの数日を過ごしている場所とがあるようです。

昨日のテレビ放送中に届いたFAXには、おにぎり1個を4人で分けているとの状況が書かれていました。

政府や自衛隊の救助活動について、テレビを見ている人たちから、不満の声も上がっています。

非難や救助の対応の遅さや、物資の供給に偏りがあることなど。

確かに、映像を見ていると、もっとできれば・・・という気持ちは起きますが、やれることをやっていないとも思えないのです。

ヘリコプターでできることならやっているはずですし、やらない場合は何か理由があるのだと思います。

今や、現場の東京電力の社員たちまでが避難している状態の原発周辺に、どこまで救援部隊を送り込めるか。

地震と津波でがれきの山になっている災害現場で、ヘリポートになる場所などをどう確保するのか。

テレビで見ているだけなら、色々気づけるでしょうけれど、実際に現場にいる者同士が、限られた道路や、通信手段を使って、横の連絡を取り合いながらどこまでスムーズに作業ができるものなのか。想像を超える大変さがあるに違いないと思います。

「サッカーの試合を見ている方は、あれじゃダメだとか、もっとこうすべきだったとか、言うのは簡単だけど、その誰も、実際に今プレーしている選手たちより上手くプレーできない」と言う夫の表現は、私の今の気持ちを上手く表してくれてると思いました。

今、比較的安全な場所で暮らしている皆さんが、自分の最低限の安全を確保できたなら、ガソリンや食品、トイレットペーパーなどの買占めに走り回るのではなく、災害地の皆さんのためにそれらが届けられるかもしれないということを考えて行動して頂けたらいいと思います。

私の知る範囲では、遠く離れたカナダで暮らす日本人の皆さんも今の状況に心を傷め、赤十字などを通じて早速募金をして下さっています。

また、神戸での震災を経験している友人は、アロマセラピストとしてできるボランティア活動を計画しています。

直接的に被災地の方々に関われず、目の前に病気の方たちを抱えた病院勤務の友人は、節電と併せて、今まさに自分の助けを必要としている患者さんたちを支えることも大切な「今できること」のひとつだと考え、仕事に励んでいます。

関わり方はそれぞれで、どれも尊いものだと思います。

誰も想像していなかった自然災害、そして原子力発電所の事故。

心身共に疲れ果てた被災者の方々が、少しでも早く、暖かい場所と寝床、食料や飲料の不足しない、日本で普通にできていた生活に戻れますように。

今、実際に救助や救急医療や、避難所の人々の生活を支えるために動いて下さっている海外そして日本国内の方々、大変な危険と不安の中を原発の事故の悪化を抑えるために夜を徹して作業をつづけている方々に感謝します。

避難所暮らしや、屋内退避の状態がつづく皆さん、それら被災地にご家族や友人をお持ちの皆さん、同じ日本人として心配して下さっている全国のまたは外国の皆さん、住む国や人種が違っても助けの手をさしのべてくれている世界中の皆さん、みんなでなんとか乗り越え、命ある限りつづけられる人生を進んで行きましょう。

2011年3月15日 (火)

東北関東大震災

その日その時は、夫の肩のリハビリ治療で病院に行った帰りでした。

激しい揺れに驚きながら、車で帰宅しましたが、その時は、まだこれほどの事態が起きつつあとうとは、想像もしていませんでした。

地震の揺れは相当なもので、マンションのエレベーターは停止していました。

自宅の中は、キッチンのカップボードからグラスやマグカップが飛び出し、床の上で割れて散らばっていました。

まだ余震が続く中、まずは割れ物を片付け、余震に備えて数個を残してグラスなど割れやすい物は梱包し、段ボールに入れて、カップボードは空にしました。

テレビをつけると、ちょうど津波が住宅や田畑をのみこんでいく様子が中継されていました。
これが現実のものとは思えない映像に、これは大変な事態になったと分かりました。

片づけが終わり、帰宅時に外で会うことができた近所のおそば屋さん家族の所に、お店を営業する灯りがついていたので、行ってみることにしました。
まだ、エレベーターは動いていませんから、非常階段を使いますsweat01

やはり、同じように馴染みの顔と食事を求めて、暖かな灯がついたこのお店にやって来た先客もいました。

食事をすませ、店の外に出ると、さっきはなかった人の波が駅へと向かって流れていました。
そこにある施設が開放され、避難場所になっており、毛布も配布され、帰宅できない人たちが一夜を明かすために集まっていました。

私たちは、再び非常階段を使って帰宅sweat01

そして、つづく余震を警戒しつつ、非常用のリュックを枕元に置いて眠りました。

夜が明けてみると、被害の深刻さが次々と明らかになっていきました。
地震や津波で破壊された家々、避難所で寒さと水や食料の不足の中過ごす人々、そして、家族を探す人々。
さらには、原子力発電所で異常が発見され始めました。

この後、この状態はますます悪化の一途を辿っていきます。

原発では、原子炉が入っている格納容器をさらに覆う「建屋」(たてや)と呼ばれる容れ物が爆発で吹き飛びました。

被害のひどい地域ばかりでなく、まだ生活を維持できる状態のエリアの人々は、食料やトイレットペーパー、そしてガソリンなどを買い込みに走り、街は混乱の様相を呈して来ます。

私たちは、できる限り今あるもので過ごし、買い出しには行かないことに決めました。

震災から2日がたっても、事態は良くなるどころか、原子力発電所の問題が次々と浮上して来ます。

今後の電力不足も考える必要が出て来ました。

そんな中、現状の危険さと、電力の問題などでさんざん迷いましたが、かねてからの予定通り決行されるライブに行くことにしました。
このライブのために海外から来ている日本人ミュージシャンと、いつも信頼している主催者が決行を決めたからには、応援したいと心を決めました。
ライブは急遽チャリティ−になり、私たちも募金をすることができました。
こんな時でも、いや、だからこそ音楽を、という気概に触れることができましたが、やっぱりこれほどの事態では、気分を切り替えるのは難しいものですねweep

そしてまた翌日から、原発では新たな水素爆発が起き・・・事態は不安定なままです。

しかし、大津波警報が津波警報へ、そして警報が一時解除され、家族を探したり、家のあった場所へ戻る被災者の様子が伝えられました。

しかし、余震はまだつづいています。

一日、ニュースを追っているだけで、あっという間に時間が過ぎていきます。

毎朝、起きた時、事態がどんな風になっているか怖いです。

まだ、水や食料などの物資が一度も届かないままの避難所もあるそうです。

まだまだ探すべき場所が沢山あるのでしょう。
人手が多ければ役立つかもと思うと、手伝いたいと思いますが、今は素人の出る幕ではなく、プロの救援隊の方々にお願いするほかありません。
日頃、いつあるか分からない緊急事態に備えて訓練されている自衛隊や消防隊のみなさん。
病院など救急医療施設でも、頑張って下さっている職員の方々が大勢いらっしゃるでしょう。
そして、避難所でも、皆さんが互いに支え合って過ごされていることと思います。
外国からの救助隊や救助犬の到着も、とても有り難く思います。

まだまだ援助物資や寄付金が必要なタイミングがあると思います。
できることをしたいです。

同時に、現在つづく不安定な状態の中で、自分の身を守ることも必要です。

夫はスタッフの皆さんと共に、地域の医療施設として今日も整骨院を開けています。

早く、この状態が落ち着き、復興に向けての努力ができる日が来ますように!

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